韓国に住み始めた頃、私は「韓国人って本当にストレートだな」と思っていました。嫌なことは嫌と言うし、思ったことも結構はっきり言う。日本人より分かりやすいな、くらいに思っていたんです。
ところが、10年以上この国で暮らしていると、だんだん気になってきたことがあります。
……いや、めちゃくちゃ空気読んでない?
もちろん、今でもたまに見かけます。道路の真ん中で大声で怒鳴り散らしているおじさんとか(笑)そういう直球勝負がなくなったわけではありません。
でも、普段の人間関係を見ていると、どうもそれだけでは説明できない。むしろ、思っていた以上に「周りを見ている」社会なんですよね。
韓国語には「ヌンチ(눈치)」という言葉があります。日本語では「空気を読む」と訳されます。
でも、実際にはもう少し幅がある言葉だなと感じます。
눈치(ヌンチ)=相手の気持ちや、その場の雰囲気を察する感覚。
눈치를 보다(ヌンチル ポダ)=相手の顔色や場の状況をうかがう、様子を見る。
눈치가 빠르다(ヌンチガ パルダ)=察しが早い、空気を読むのが早い。
눈치가 없다(ヌンチガ オプタ)=察しが悪い、空気が読めない。
「空気を読む」「察する」という感覚が、韓国の日常会話の中でかなり身近なものなのが分かりますよね。
そして面白いのが、「空気を読む」だけで終わらないところ。
「今、この人はどういう状態なんだろう」
「ここで言って大丈夫かな」
「今動いた方がいいかな」
「これは黙っておいた方が得かな」
そんなことを察したあとに、自分がどう動くかまで含めてヌンチなんじゃないかと、10年以上暮らしてきて私は思うようになりました。
「言う。でも、いつ、誰に?」
韓国では、子どもの頃から人前で発表したり、自分の意見を話したりする機会が比較的多いです。幼稚園児でもディベートの習い事があったりして、「自分の意見を持って、人前で話せる人間に」という教育も増えてきたように感じます。
だから、言うときは本当にハッキリ言う。
でも、暮らしていると同時に、「いや、そこは言わないんだ?」と思う場面にもかなり出会います。
例えば学校関係。先生や年上の人に何か意見を言いたいときは、かなり慎重になる。同じクラスのママ友に対しても、「それ、ちょっとおかしくない?」と簡単には言わないことがあります。
私だったら「いや、それは言っていいんじゃない?」と思ってしまうような場面でも、しばらく様子を見る。
そして、別のタイミングで話したり、別の人に相談したり、あえて何も言わなかったり。
「正しいかどうか」と「今それを言うかどうか」は、別問題なんですよね。
しかも、ここには「相手のために配慮している」だけではなく、「自分が不利になることは言わない」という、かなり現実的な感覚もある(笑)
「ご飯食べた?」は、やっぱり面白い
韓国の「察する文化」を考えるとき、分かりやすい例のひとつが、ドラマなどでもよく出てくる「밥 먹었어?(ご飯食べた?)」。
韓国に来たばかりの頃は、「え、ご飯?今?」と思いました(笑)
でも、実際には本当にご飯のことだけを聞いているわけではない。「元気?」「最近どう?」くらいの、How are you? に近い挨拶として使われることも多いですよね。
そして面白いのは、誰にでも同じように「ご飯食べた?」と言うわけではないこと。
相手の様子を見ながら、「今日は疲れていそうだな」と思えば「疲れてますか?」と声をかけたり、「今日は雨ですね」と天気の話をしたり。その人が話しやすそうなところから入ったりする。
何でもかんでも「ご飯食べた?」ではないんですよね(笑)。相手の状態を見て、今ならどんな話を振れば自然かを選んでいる。
逆に、相手の様子をまったく見ずに、誰にでも同じことを言っていたら、それこそ「ヌンチがない」と思われるのかもしれません。
しかも、その挨拶には、その後の本題につなげる目的があることもあります。
「今日は雨ですね」「最近どうですか?」「ご飯食べました?」なんて軽く会話をして、相手も気分よく話せそうなら、「じゃあ、今度お茶でもしましょうか」と次につなげる。
相手も気分よく話せるし、自分も話しやすい。うまくいけばWIN-WINです。
これも私には、かなり「空気を読む」文化っぽく見えます。
もちろん、本当に相手を心配していることもあるでしょう。でも、相手が今どんな状態なのかを見ながら、どんな言葉を投げれば会話がうまく進むのかを考えている。
「ご飯食べた?」という一見どうでもいい一言の中に、実は結構いろいろ入っているんですよね。
しかも、誰にでも積極的に挨拶するわけではないところも面白い。自分に関心のない人にはスルー、ということも普通にある。
日本人の感覚で暮らしていた私は、最初、「え、挨拶しないんだ?」とちょっと驚きました。
私は韓国語がうまくなくても、挨拶だけはするタイプ。挨拶さえできれば、海外生活はなんとかなる!と思っているし、実際それで救われてきたので、そこは今でも大事にしたい(笑)
でも、韓国では関係ができると、今度は一気に距離が縮まったりする。
だから、これも私には「みんなに平等に接する」というより、相手との関係性を見ながら、距離を調整しているように見えます。
最初は「なんで挨拶しないんだろう?」と思っていたけれど、今では「あ、この人とはまだそこまで関係がないのね」と、あまり気にしなくなりました。
「先にやる」「先に知る」「先に食べる」
そして、こういう「察して動く」感覚を考えていると、もう一つ気になるのが、韓国の「先にやる」文化です。
「え、別に一週間後でもよくない?何なら食べなくてもいい」と思う私と、「いや、今でしょ」という人たち(笑)
流行っているものがあれば早く食べる。新しい情報があれば早く知る。誰もやらないなら自分がやる。
こういう「先にやる」「先に知る」「先に食べる」みたいな競争心も、韓国で暮らしていると結構感じます。
最近で言えばドバイチョコとか(笑)。「そんなに急いで食べなくても……」と思っているうちに、もうみんな食べていて、流行りもすでに終わっていたり。
もちろん、良い面ではとにかく行動が早い。日本だと「まず準備をして、よく考えて、それからやりましょう」という場面でも、韓国では「とりあえずやってみる」が先に来ることがある。クラスの代表なども、意外とサッと決まったりします。
でも、よく考えてみると、意外とみんな「みんなと同じことをする」のが好きなんですよね。
流行っているものなら早く食べる。みんなが知っていることなら、自分も知っておきたい。誰かがやっているなら、自分もやっておく。
これも「自分だけ置いていかれたくない」「自分だけ知らなくて損したくない」という、ちょっとしたヌンチなのかもしれない。
そのためなら、別にそこまで好きじゃないこともやったりする。
そういう意味では、「自分は自分」と思っているようで、意外と仲間外れは嫌なんだなぁと思うこともあります。
みんながやっているなら自分もやる。みんなが知っているなら自分も知っておきたい。別にそこまで欲しくなくても、「自分だけ知らない」は嫌。だから、ドバイチョコも「そんなに急いで食べなくてもよくない?」と思う私とは、ちょっと温度差がある(笑)
個性的なのは、むしろ日本人の方だったりするのかも(笑)
そう考えると、じゃあ日本も空気を読むのに、韓国のヌンチとは何が違うんだろう?と、今度はそっちが気になってきます。
日本の「空気を読む」と何が違うんだろう?
ここまで書いてくると、「それって日本も同じじゃない?」と思いますよね。
そうなんです。日本人だって空気を読む。
「今これを言ったらまずいかな」と考えるし、相手の顔色を見ることもある。言わないほうがいいことは、あえて言わない。だから、韓国だけが特別に「周りを見ている」という話ではないと思います。
ただ、韓国で暮らしていると、周りを見たあとに「じゃあ、自分はどう動く?」までがセットになっているように感じるんです。
私が「눈치(ヌンチ)」と聞いて、パッと思い浮かぶ韓国のことわざ。
「눈치가 빠르면 절에 가도 젓갈을 얻어먹는다」
(空気を読むのが早ければ、寺に行っても塩辛をもらって食べられる)
これは、寺で食事をするような場面で、周りの様子をよく見て、何をすればいいのか素早く察する人なら、塩辛まで分けてもらって食べられるというたとえです。
日本語にも「機転が利く」とか「臨機応変」といった言葉はありますが、このことわざにピタッと当てはまるものは、ちょっと思いつきません。
意味としては、どんな場所に行っても、その場の状況を素早く察して、うまく立ち回れる人は困らないということ。
つまり、韓国の「눈치」は、日本語でよく訳される「空気を読む」だけでは、ちょっと足りないんですよね。
今どういう状況なのか。
相手は何を考えているのか。
ここで自分はどう動けばいいのか。
そこまで判断するのが「눈치(ヌンチ)」なんですよね。
そう考えると、ここまで書いてきた「ご飯食べた?」も、「先にやる」も、「誰に何を言うか」も、ちょっとつながって見えてきます。
もちろん、日本人だって似たようなことはしています。
ただ、韓国で暮らしていると、「察して、判断して、動く」というヌンチの存在感が、なんだか大きい。
私は10年以上暮らしてきて、だんだんそんなふうに感じるようになりました。
そして、結局ぜんぶ自分のため?
ここまで書いていて、ふと思い出したのが夫の言葉。
「結局、ぜんぶ自分のためじゃない?」
……確かに(笑)
流行っているものを早く食べるのも、自分だけ知らないのが嫌だから。誰もやらなければ自分でやるのも、自分が困るのが嫌だから。言わないのも、無駄な摩擦を生みたくないから。
相手が喜びそうな話を振るのも、その後の人間関係をうまく進めたいから。
そう考えると、確かにかなり「自分のため」です。
でも、面白いのは、自分のために動こうとすると、結局は相手を見ないといけないということ。
今この人はどんな気分なのか。何を言えば気持ちよく話せるのか。ここで言って大丈夫なのか。誰に言うのが一番いいのか。
自分のためなのに、相手をものすごく見ている。
私は、このちょっとした矛盾が「ヌンチ」の面白さなんじゃないかなと思っています。
でも、私はヌンチを読まない(笑)
ここまで書いておいてなんですが、私は今、そんなに一生懸命ヌンチを読んで暮らしているわけではありません(笑)
というか、多分そんなに上手くできない。
「今どう思われているんだろう」「これを言ったらどう受け取られるんだろう」と、いちいち考えていたら身が持ちません。
一体、誰のために、何のために、そこまで気を遣うんだろう。
私はそんなに自分をよく見せたいというプライドも持ち合わせていないので、「まあ、分かってもらえなくてもいいか」「外国人だからよく分からないってことで(笑)」くらいで、結構スルーしています。
でも、韓国の人間関係も、仕組みが分かってくると意外とラクなんです。
「あ、今のはそういうことね」と分かれば、それ以上考えない。「これは私には関係ないな」と思えば、放っておく。どうでもいいことは、どうでもいい(笑)
一方で、ヌンチを読むのが上手な人を見ると、「すごいなあ」と思います。人の心をつかむのが上手い人や、場をうまくまとめる人って、本当に周りをよく見ている。
こういう「人や場の状況を察して動く力」って、AIがどんどん賢くなっていくこれからの時代だからこそ、意外と大事なスキルなのかもしれないな、と思ったりもします。
情報を集めたり、文章を作ったりすることはAIがどんどん得意になっていく。でも、「今この人は何を求めているんだろう」「ここでは何を言えばいいんだろう」と、その場を見て判断することは、また別の力ですよね。
もちろん、こういう力は誰でも簡単に身につけられるものではなくて、人付き合いの中で失敗したり、経験したりしながら身についていくものなんだろうと思います。
こうして改めて「ヌンチ」について書いてみると、思っていた以上に奥が深い!
あぁ、難しいテーマだった(笑)
10年以上韓国で暮らしていても、まだまだ「え、今のはどういうこと?」となることもあるし、全部を察するなんて私には無理です。
でも、そんな「なんで?」を少しずつ知っていくのも、海外で暮らす面白さなのかもしれません。
……ということで、今日はこの辺で(笑)
韓国の距離感については、こちらの記事でも詳しく書いているので、あわせて覗いてみてくださいね!



