今は、入学前に文字が読めたり、簡単な計算ができたりする子も多いですよね。
でも、わが家では就学前に読み書きや計算をほとんど教えませんでした。
息子が通っていた保育園では、外遊びや生活の時間を大切にしていて、「小さい頃は、まず体や感覚を育てる時期」という考え方がありました。
私もその方針に共感していたので、入学前に“お勉強”を急がせることはせず、よく遊び、よく眠る毎日を大切にしていました。
もちろん、小学校に入ってから楽だったわけではありません。
周りよりゆっくりな場面もたくさんありました。
それでも今振り返ると、幼少期に育っていたものは、文字や計算よりもっと土台になるものだった気がしています。
今日は、就学前に文字をほとんど教えなかったわが家が、小学校生活を通して感じたことを書いてみようと思います。
就学前、“お勉強”をしなかったわが家
息子が通っていたのは、自然遊びや生活の時間を大切にする保育園でした。
季節の手仕事をしたり、毎日たっぷり外で遊んだり。
泥だらけで帰ってくる日も多くて、「今日は何して遊んだの?」と聞いても、
「虫見つけた」
「木で遊んだ」
くらいしか返ってこないこともよくありました(笑)
園では、読み書きや計算を急がせることはなく、数字や文字が書かれたものも置いていませんでした。
最初は少し驚きましたが、「小さい頃はまず、体や感覚を育てる時期」という考え方が私はけっこう好きで、家でも特別な“お勉強”はほとんどしていませんでした。
もちろん、年長になると自然に文字へ興味を持つ子もいます。
お手紙を書いたり、自分で絵本を読んだりする子もいて、「すごいなぁ」と思うこともありました。
でも、息子はどちらかというと、まだまだ“遊ぶ人”。
絵本も読むより、絵を眺めるほうが好きでした。
虫を探したり、石を並べたり、木の枝で何か作ったり。
その時の季節に合った歌を一緒にうたったり。
気づけば、そんなことばかりしていました。
だから入学前の時点では、ひらがなもほとんど読めず、数字や時計もかなりあやふや。
でも当時の私は、「今はまだ、その時期じゃないんだろうな」くらいに思っていて、無理に教え込もうとはしませんでした。
その代わりに大切にしていたのは、
よく遊ぶこと。
よく眠ること。
毎日の生活を気持ちよく過ごすこと。
今振り返ると、わが家が就学前に育てたかったのは、“できること”より、暮らしの土台だったのかもしれません。
箸より先に、“手を育てる”という話
年長の頃、私は息子がなかなか箸を使いたがらないことを少し気にしていました。
周りの子は上手に使っているのに、うちの子はスプーンばかり。
「そろそろ練習したほうがいいのかな」と思っていた時、園の先生がこんな話をしてくれました。
「箸って、大人が思う以上に複雑な動きなんです。
まずは、指や手首がしっかり育っていくことが大切なんですよ」
さらに、
「鉛筆を持って文字を書くのも、実はかなり難しい動きなんです。だから園では、“書く練習”より先に、手や感覚をたくさん使うことを大事にしています」
とも話してくれました。
園では、編み物や粘土遊び、紐通しなど、手を使う遊びをよくしていました。
当時はそこまで深く考えていなかったのですが、小学校に入ってから「ああ、こういうことだったのか」と感じる場面が何度もありました。
毎日鉛筆を持って、給食で箸を使っているうちに、息子は少しずつ自然にできるようになっていったんです。
“準備”ができていたからなのか、急に教え込まなくても、体があとから追いついていく感じがありました。
今思うと、就学前に大切だったのは、“早く書けること”よりも、まず体をしっかり使って遊ぶことだったのかもしれません。
入学直後は、やっぱり大変だった
とはいえ、小学校が始まった頃は、やっぱりそれなりに大変でした。
わが家は、小学校も、いわゆる勉強をどんどん進めるタイプではなく、遊びや体験を大切にしている学校を選びました。
それでも、周りにはすでにひらがながすらすら書ける子もたくさんいます。
文字を書くスピードも速いし、音読も慣れている感じ。
一方の息子は、見るもの聞くもの全部が初めて。
ノートを書くのにも時間がかかって、毎日かなりクタクタで帰ってきていました。
最初の頃は、少しのことで怒ったり、泣いたりする日もあって、「頭も体もフル回転なんだろうなぁ」と感じていました。
でも不思議だったのは、「学校に行きたくない」とは一度も言わなかったこと。
たぶん、勉強は大変でも、学校という場所自体は嫌じゃなかったんだと思います。
担任の先生も、
「今はまだ練習の時期ですからね。焦らなくて大丈夫ですよ」
と、いつも穏やかに声をかけてくださいました。
私も、「周りよりゆっくりだな」と感じる場面はもちろんありました。
でも同時に、
ちゃんと座って話を聞けること。
困っても投げ出さないこと。
毎日学校へ行けること。
そういう部分は、息子の中にちゃんと育っている気がしていました。
小学校に入ってから感じたのは、読み書きより先に育っていたものの大きさです。
生活リズム。
遊ぶ力。
人と関わる力。
失敗しても立ち直る力。
そういう土台があると、新しいことも少しずつ自分のペースで吸収していけるんだな、と感じました。
「今できない」は、ずっとできないじゃない
入学したばかりの頃は、正直「周りの子、みんなすごいな…」と思うこともありました。
すでにすらすら読める子。
きれいに文字を書ける子。
計算が得意な子。
やっぱり、就学前にある程度やってきている子は多いんですよね。
公立小でも「入学後に一から教えます」とは言うけれど、実際は“知っている前提”で進む場面もけっこうあるなと感じました。
だから、最初はゆっくりでした。
文字を書くのも時間がかかるし、宿題もすぐには終わらない。
でも、少しずつ、本当に少しずつできるようになっていったんです。
毎日鉛筆を持って。
毎日先生の話を聞いて。
毎日学校へ通って。
そうやって過ごしているうちに、気づけば文字を書くことにも慣れていきました。
2年生になった今は、「丁寧に書くと読みやすい」ということも少しずつわかってきたようで、以前よりずっと“伝えるための文字”を意識するようになっています。
子どもの成長って、急に階段をのぼるみたいに変わる瞬間がありますよね。
だから最近は、「今できるか」より、「その子のタイミングが来ているか」のほうが大事なのかもしれない、と思うようになりました。
早く興味を持つ子もいれば、じっくり型の子もいる。
外遊びばかりしていた子が、ある日突然文字に夢中になることもある。
子どもの“学びスイッチ”って、本当にそれぞれなんだなと思います。
幼少期に大切だったのは、“暇な時間”だった
振り返ると、わが家が就学前に大切にしていたのは、“何かを早くできるようにすること”ではありませんでした。
むしろ、予定を詰め込みすぎず、のんびり過ごす時間を大切にしていた気がします。
外で遊んで、帰ってきて、ごはんを食べて、またぼーっと遊ぶ。
そんな毎日の繰り返しでした。
今って、子どもも意外と忙しいですよね。
習い事があったり、動画やゲームがあったり。
気づくと、“暇な時間”ってけっこう少ない。
でも、息子を見ていると、何も決められていない時間があるからこそ、自分で遊びを作っていた気がします。
石を並べたり。
木の枝を集めたり。
急に歌い出したり。
大人から見ると、「何してるんだろう?」みたいなことばかりなんですが(笑)、本人はかなり真剣でした。
誰かに与えられた遊びじゃなく、自分で見つけた遊び。
その時間の中で、集中したり、想像したり、考えたりしていたんだろうなと思います。
もちろん、早くから文字や数字に興味を持つ子もいます。
だから、「早期教育がよくない」と言いたいわけではありません。
ただ、わが家には、“急がせない幼少期”が合っていました。
たくさん遊んだこと。
季節の中で過ごしたこと。
よく眠って、のんびりした時間があったこと。
そういう小さい頃の時間は、あとからちゃんと残っていくんだな、と今は感じています。
わが家の学習ルールは、15分だけ
とはいえ、小学校に入ってからは、家でまったく何もしなかったわけではありません。
学校生活が始まってしばらくしてから、わが家では「1日15分だけ」文字や数字に触れる時間を作るようになりました。
といっても、いわゆる“ドリル学習”のようなものではなく、とてもシンプルなものです。
「今日は読む? 書く?」
と息子に選ばせて、
読む日は、好きな絵本を一緒に音読。
書く日は、好きな言葉や短い日記を1〜2行だけ。
それくらい。
やりたくない日ももちろんあります(笑)
「めんどくさい〜」と逃げようとする日もありました。
でも、
「約束したから、今日はやろうね」
「終わったらすぐ自由時間!」
と声をかけながら、“勉強=嫌なもの”になりすぎないようには気をつけていました。
家ではのんびりしたい息子にとっては、これくらいがちょうどよかったみたいです。
「できるようになった」より、「続けている」こと
少しずつ読み書きができるようになってきた息子。
でも私は、「上手に書けたこと」より、「毎日少しずつ続けられていること」のほうが大事なんじゃないかな、と感じています。
周りよりゆっくりでも、その子なりのペースで“できる日”はちゃんと来る。
実際、先生との面談でも、
「おうちで少しずつ続けてもらえれば大丈夫ですよ」
と言っていただいて、私も少し安心しました。
でも、息子を見ていると、「今できないこと」があっても、自分を否定しすぎないところがありました。

練習すれば、ちゃんとできるよ
そんなふうに考えられるのは、小さい頃からたくさん遊んで、“できる・できない”だけで評価されない時間が長かったからかもしれません。
今よく言われる“自己肯定感”って、こういう毎日の積み重ねの中で育つものなのかな、と感じています。
早くより、“育ちの土台”を大切にしたかった
わが家が、就学前にひらがなを急いで教えなかったのは、学力より先に育ってほしいものがあったからです。
毎日元気に過ごすこと。
人と関わって遊ぶこと。
失敗しても立ち直れること。
そういう、暮らしの中で育つ力です。
小学校に入ってから感じたのは、この土台があると、学びはあとから少しずつついてくるということでした。
おわりに
小学校に入ると、どうしても「できる・できない」が見えやすくなります。
周りと比べてしまうこともあるし、「もう少し早く教えておけばよかったかな」と思う瞬間が、まったくなかったわけではありません。
でも今振り返ると、わが家にとって就学前の時間は、“勉強を先取りする時期”ではなく、暮らしの土台を育てる時間でした。
たくさん遊んで。
体を動かして。
季節を感じて。
よく眠って。
そんな毎日の中で育っていたものは、あとからちゃんと子どもの力になっていた気がします。
もちろん、早くから文字や数字に興味を持つ子もいるし、早期教育が合う子もいます。
だから、何が正解という話ではありません。
ただ、“急がせない幼少期”という選択肢もあっていい。
もし今、
「周りより遅いかも」
「入学前にもっとやったほうがいいのかな」
と焦る気持ちがあるなら、こんな幼少期もあるんだ、と少し肩の力を抜いてもらえたら嬉しいです。
小さい頃の時間って、あとからちゃんと残っていくんですよね。





