「シュタイナー教育って気になるけど、園が近くにない」
「実際、園ではどんなことをするの?」
「全部シュタイナー式にしないと意味ない?」
そんなふうに思う方も多いかもしれません。
わが家は韓国のシュタイナー園へ通っていましたが、正直に言うと、最初から教育方針を深く理解していたわけではありません。
少人数で自然遊びを大切にしている園を探していたら、たまたま出会ったのがシュタイナー園でした。
最初は、
「テレビ禁止?」
「勉強しなくて大丈夫?」
「なんだか独特…?」
と戸惑うこともたくさん(笑)
でも数年通ううちに、特別な教材よりも、“毎日の暮らし”そのものを大切にしている教育なんだな、と感じるようになりました。
シュタイナー教育は、一般的な一斉教育とは少し違う、“オルタナティブ教育(もうひとつの教育)”のひとつと言われています。
とはいえ、実際に通ってみると、特別なメソッドというより、
「幼少期を急がせない」
「暮らしの土台を大切にする」
そんな感覚に近かった気がします。
今回は、そんなわが家が、園から持ち帰って今でも家庭で大切にしていることを書いてみたいと思います。
シュタイナー教育は「自立」を大切にしている
シュタイナー教育というと、
自然派
芸術的
スピリチュアル
みたいなイメージを持たれがちですが、実際に通って感じたのは、
「最終的に、自分で生きていける人を育てる」
という考え方でした。
シュタイナー教育では、「自由への教育」という言葉がよく出てきます。
でもこれは、“好き勝手にさせる”という意味ではありません。
自分で考え、
自分で判断し、
自分の人生を歩ける人になること。
そのために、幼少期はまず“身体”や“感覚”をしっかり育てることを大切にしていました。
0〜7歳は「身体を育てる時期」
シュタイナー教育には、「7年周期」という考え方があります。
人は7年ごとに大きく成長するとされ、特に0〜7歳は、“身体を育てる時期”。
だから幼児期は、
早く文字を覚えること
知識を増やすこと
よりも、
たくさん遊ぶこと
身体を動かすこと
五感を使うこと
生活リズムを整えること
を大切にしていました。
実際、園でも読み書きを急がせることはありませんでした。
最初は「本当に大丈夫かな?」と思いましたが、今振り返ると、幼少期にしかできない体験をかなり大事にしていたんだと思います。
まずは「生活リズム」を整えること
家庭でシュタイナー教育を取り入れるなら、特別な教材よりも、まず生活リズムが大切なんじゃないかなと思います。
シュタイナー園でも、
決まった時間に起きる
よく歩く
よく遊ぶ
しっかり眠る
という、“毎日の繰り返し”をとても大切にしていました。
最初は、
「もっと特別な教育をするのかな?」
と思っていたのですが、実際はむしろ逆。
派手な刺激より、“安心できるリズム”を整えること。
それが、子どもの土台になるという考え方でした。
実際、毎日の流れが安定していると、子どもって気持ちもかなり落ち着くんですよね。
そして園では、「やりすぎないこと」も大切にしていました。
たとえば、園で思いきり遊んだ日は、そのあとさらに公園へ行ったり、予定を詰め込みすぎない。
夕方からは、家でゆっくり過ごすことも大事だと考えられていたのです。
最初は、
「もっと遊びたいのにかわいそうかな?」
と思うこともありました。
実際、子どもたちも「帰りたくない!」「もっと遊びたい!」となることはよくあります(笑)
でも先生たちは、“興奮したまま一日を終えないこと”をとても大切にしていました。
だから保護者同士でも、
「保育園が終わってから遊ぶのは金曜日だけ」
など、ある程度ルールを合わせていました。
同じ園の友だち同士なので、一家庭だけではなかなか難しい部分もあったんですよね。
子どもの「もっと遊びたい」という気持ちを大切にしながらも、ちゃんと落ち着いて終わる。
その切り替えも、幼少期には大事なことなんだなと感じました。
今振り返ると、幼少期って「頭で理解する」より先に、“身体”や“感覚”が育つ時期だったんだと思います。
だからこそ、
ちゃんと眠ること
たくさん身体を動かすこと
安心して毎日を繰り返せること
を、とても大切にしていたのかもしれません。
「子どもの自由」と「大人の役割」
シュタイナー教育で印象的だったのは、「子どもの自由」と、「何でも好きにさせる」は違う、という考え方でした。
たとえば、
寝る時間
食べるもの
生活リズム
などは、基本的に大人が決めます。
「何食べる?」
「今日は行く?」
「やる?やらない?」
と、幼い子どもにたくさんの選択を委ねることは、あまりしませんでした。
最初は少し意外でしたが、小さい子どもって、
本当は「大人がちゃんと決めてくれること」で安心する部分もあるんですよね。
もちろん、子どもの気持ちは聞きます。
でも、
危ないことはダメ
人を傷つけることはダメ
生活のルールは変えない
という“大人の軸”は、最後までぶらさない。
園の先生たちも、とても穏やかでしたが、「ダメなことはダメ」がすごくはっきりしていました。
怒鳴るわけではないけれど、静かに止める。
そして、大人自身が落ち着いている。
今振り返ると、あの安心感って、「自由」だけじゃなく、“信頼できる大人がいること”から生まれていたのかもしれません。
空白の時間が、遊びを生む
シュタイナー園では、「何もしない時間」も大切にしていました。
最初は私も、
「暇じゃないのかな?」
「もっと色々やらなくて大丈夫?」
と思っていたんです(笑)
でも、空白の時間があると、子どもって自分で
「次、何しよう?」
を考え始めるんですよね。
それはきっと、大人も同じなのかもしれません。
ずっと刺激があると、意外と“自分で考える時間”って持てないんですよね。
木の枝を拾ったり、
布を巻いたり、
急にごっこ遊びが始まったり。
“与えられた遊び”ではなく、自分で遊びを作り始める感じでした。
そして印象的だったのは、大人もずっと子どもを楽しませ続けなくてもいい、という空気があったことでした。
親や先生は、
本を読む
掃除をする
編み物をする
植物の手入れをする
など、自分のやるべきことを落ち着いてしているんです。
その隣で、子どもが遊ぶ。
もちろん危なくないようには見ていますが、ずっと「遊んであげる」「構い続ける」という感じではありません。
時々一緒に遊んだり、遊びのきっかけだけ作って、あとは隣で見守る。
そんな距離感でした。
最初は、親のほうが我慢の時間でした(笑)
ついスマホを見たくなるし、
「退屈してない?」
と声をかけたくなる。
でも、大人が静かに過ごしていると、子どもも少しずつ落ち着いて、自分の遊びに集中していくんですよね。
今振り返ると、“暇な時間”って、子どもにとってすごく大事な時間だったんだなと思います。
子どもは、「教えられて」育つより、“真似して”育つ
シュタイナー教育では、小さい子どもは「耳で理解する」より、“大人を見て真似する”ことで育つと考えられていました。
だから先生たちも、
「ちゃんとしなさい」
「早くして」
と説明するより、自分が静かに動くことを大切にしていた気がします。
実際、子どもって本当によく見ています。
大人が掃除をしていると真似したがるし、料理をしていると隣へ来る。
逆に、大人がずっとスマホを見ていると、子どもも「何か刺激が欲しい」状態になりやすいんですよね。
だから親向けの教育会でも、「まず大人自身の暮らしを整える」という話がよく出ていました。
最初は、
「親の修行みたい…」
と思いました(笑)
でも今振り返ると、子どもに“こう育ってほしい”と思うなら、まず大人がその姿を見せる、という考え方だったんだと思います。
テレビやスマホを慎重に考えていた理由
シュタイナー教育では、小さい頃のテレビやスマホをかなり慎重に考えています。
理由は、“受け身の刺激”が強すぎるから。
幼少期は本来、
想像する
真似する
身体を動かす
自分で遊びを作る
ことで育つと考えられていました。
実際、入園してからテレビ時間をゼロにした時期の息子は、
ごっこ遊び
空想遊び
お絵描き
自然遊び
がかなり増えました。
というより、他にやることがなかったんですよね(笑)
でもそのぶん、自分で遊びを作る時間はかなり増えていた気がします。
もちろん、現代で完全にメディアをゼロにするのは難しいです。
けれど、テレビや動画をあまり見ていない子どもたちは、人気キャラクターや流行のおもちゃを知らない代わりに、
自然遊び
ごっこ遊び
飽きないおもちゃ
で、驚くほど長く遊んでいたりします。
小さい頃に見せなくても、子どもって大きくなれば自然にゲームや動画に興味を持つんですよね。
だからこそ、幼少期の限られた時期だけでも、“刺激の少ない時間”を大切にするのは意味があったのかもしれません。
今振り返ると、あの頃の静かな時間が、息子の「遊ぶ力」を育てていた気がしています。
完成されたおもちゃより、“余白のあるもの”
園には、キャラクター玩具や電子おもちゃは全くありませんでした。
代わりにあったのは、
木
布
羊毛
石
木の実
積み木
みたいな、“遊び方が決まっていないもの”。
最初は、「これで遊べるの?」と思いました(笑)
でも子どもたちは、本当によく遊ぶんです。
布がお店になったり、
マントになったり、
おうちになったり。
石がごはんになったり、
宝石になったり。
完成された遊びではないからこそ、自分で想像しながら遊べるんですよね。
わが家では、園で使っていたものと同じグリムスのアーチや半円盤を今でも使っています。
正直、最初は「おもちゃにしては高いな…」と思いました(笑)

でも、こういうシンプルなものほど遊び方が限定されないので、意外と長く遊ぶんですよね。
小さい頃は積み木のように並べていたのに、成長すると道路になったり、基地になったり、他のおもちゃと組み合わせて遊ぶようになったり。
遊び方がどんどん変わっていくので、見ていて面白いです。
“これでこう遊ぶ”と決まっていないおもちゃって、子どもの想像力を自然に引き出してくれるんだなあと感じています。
季節を感じる暮らしを大切にしていた
園では、季節ごとの行事をとても大切にしていました。
春は花を飾り、
夏は水遊びをして、
秋は木の実を集め、
冬はろうそくを灯す。
毎年同じことを繰り返しているのに、子どもってちゃんと覚えているんですよね。
家の手伝いも、“教育”だった
シュタイナー園では、「暮らしそのもの」をとても大切にしていました。
料理。
掃除。
洗濯。
裁縫。
そういう日常の仕事を、子どもも自然に一緒にやります。
最初は、
「そんなことより遊んだ方が楽しいんじゃ?」
と思っていました(笑)
でも子どもって、大人の“本物の仕事”が好きなんですよね。
息子も、
野菜を切りたい
洗濯をたたみたい
パンをこねたい
と、よく手伝いたがっていました。
“お手伝い”というより、「暮らしに参加している」感覚に近かった気がします。
完璧にやらなくてもいいと思う
ただ、わが家も“完璧なシュタイナー家庭”ではありません(笑)
丁寧な暮らしには憧れているけれど、現実は子どもの気質もあるし、なかなか難しさも感じています。
私自身そこまでストイックにはできないし、息子もこのスタイルのまま高校まで…という感じでもありません。
今は小規模な公立小学校へ通っています。
小3になってからは、スマホは持っていないものの、家でゲームもするようになりました。
だから、小学生以降も「全部シュタイナー式で」とは思っていません。
実際、学校がシュタイナーではないので、現実的に難しい部分もあります。
でも、
急がせないこと
暮らしを整えること
子どもが自分で遊ぶこと
は、今でも大切にしています。
実際、園の先生も、
「急に全部変えなくていい」
「できることを少しずつ」
とよく話していました。
だからもし、家庭で少し取り入れてみるなら、
自然遊びを増やしてみる
テレビを少し減らしてみる
一緒に料理をしてみる
くらいでも、十分意味があるんじゃないかなと思います。
そして個人的には、日本の園や家庭って、実はかなりバランスよくできているとも感じています。
自然遊びを大切にしていたり、公園で遊ばせたり、子どもを見守ろうとしている家庭も多いですよね。
だから、日本ではすでに自然にできている部分も多いのかもしれません。
一方で、韓国は都市部だけでなく地方でも早期教育がかなり一般的です。
幼稚園のあとに塾へ行く子も多く、“何もしない幼少期”を作るには、かなり意識しないと難しい空気がありました。
だからこそ、少数派ではあっても、
「小さい頃くらいは、もっとゆっくり育てたい」
という感覚を持った家庭が、シュタイナー園のような場所を選んでいたのかもしれません。
さいごに|幼少期は、“暮らし”そのものが教育だった
シュタイナー教育に出会って感じたのは、
幼少期って、
「早く何かができるようになること」
だけじゃないんだな、ということでした。
たくさん遊ぶこと。
身体を動かすこと。
安心できる毎日を過ごすこと。
そういう“暮らしの土台”が、あとから学ぶ力にもつながっていくのかもしれません。
特別な園へ通わなくても、全部シュタイナー式にしなくても、
家の中でできることは、意外とたくさんあります。
わが家も、まだまだ試行錯誤中です(笑)
でも、「急がせない幼少期」という考え方は、今でも大切にしたいなと思っています。






